FJシニアパパインタビュー

「子どもは、パパ再成長のエンジン。未来へ目を向かせてくれる存在」

 

留岡一美さん(61歳)

 

 

プロフィール

 

5歳男の子、妻47歳の3人家族。

45歳の時に再婚し、55歳で第1子誕生。

44歳までソニーに勤務した後、人事コンサルタントとして独立。


  

聞き手/シニアパパプロジェクトリーダー 安藤哲也(FJ代表)

 

体外受精も経験し、やっと授かった

 

―55歳でパパになったんですね。

私の方は最初、「子どもはどちらでもいいかな」と思っていたのですが、妻は「子どもが欲しい」と言ってました。そんな中、自分も本気で「子どもと一緒にいる生活を!」とスイッチが入る瞬間があり、体内受精や体外受精など2年間くらいチャレンジしました。ただなかなかうまくいかなかったのですが、子どもを授かることができてよかったです。

 

―子育てするにあたって、ソニーを辞めて独立していたことは大きかったですか?

そうですね。ソニーで勤務していた時に効率的な時間の使い方など含めて、ある程度のが自分の中でできていました。が、育児の渦中に入り、型が全部崩れたって感じですね(笑)。妻も働いているので、現在の仕事スタイルでないと子どもへの関わり方は今のような深さではできてなかったと思います。

ゴミ収集車が大好きで、保育園まで5分の道のりが20分になることも。
ゴミ収集車が大好きで、保育園まで5分の道のりが20分になることも。

 

―50代でパパになる人が1%弱います。

自分がその1%の中にいることを嬉しく思います。自身、成長から成熟に向かう曲がり角の時期かな、と思っていたタイミングで子どもを授かり世界が格段に拡がりました。それは、何段目かの成長のエンジンを得た感じです。子育てから毎日学んでいることを実感します。5060代パパ、もっと増えて欲しいと思いますし、色々相談にものりますよ!

 

「この子が我が道をみつけるまで死ねないな」

 

―立ち合いはしたんですか?

私は部屋の外で待っていて、生まれてしばらくしてから部屋に入りました。

 

「やったー」っていう単純な喜びでしたね。「うまれたよ」という妻の言葉に、「がんばったなー!」っていう簡単なやり取りだったと思います。

 

―赤ちゃんを抱っこした感想は?

「よく生まれてきてくれた」って思いました。体外受精などいろいろなステップがありました。高齢出産だから最悪の可能性も頭をよぎっていましたし。

 

生まれてきた子を見て、決心って言うんですかね、こんなにももろく愛おしいこの子を守っていこうという気持ちがフツフツと湧いてきました。

 

当日の日記「感謝、感涙。この子が我が道をみつけるまで死ねないな」
当日の日記「感謝、感涙。この子が我が道をみつけるまで死ねないな」

日本ではジェンダー問題以上にエイジズムが厄介

 

―シニアパパの課題としてはどんなことを感じていますか?ちなみに僕は第3子が45歳で生まれて、「20歳の時には65歳か!」って思ったんですが。

年齢的なことは思わなかったですね。私の祖父は102歳の大往生だったので。自分は長生きすると妙な確信があります(笑)。まあ、死ぬ時は死にますし。体力面も自分は大丈夫って。根拠なき自信ですね(笑)。

 

―エイジレス的な感覚はいつから?

イギリスに住んでいた時期がありました。ヨーロッパは高齢パパも多いんです。日本はエイジズム(年齢に対する偏見や固定観念)を感じますね。ジェンダー意識も課題ですが、それ以上の社会課題としてエイジズムを感じます。必要以上に年齢を聞いたり書かせたりと言う場面も多いですよね。「長幼の序」に縛られすぎている感も。それらから上手く距離が取れると、日本社会は随分と生きやすく・働きやすくなると思っています。

 

―ほかに感じることは?

ダブルケアの問題はシニアパパには付いて回ると思います。

 

私の親(在神戸)は近所に住む姉がケアのほとんどをしてくれて助かったこと感謝しています。昨年一昨年で続けて亡くなりましたが、孫として抱っこしてもらえたことは最後の親孝行でした。福岡に住む妻の両親は80歳に差し掛かっています。最近2ヶ月に1回くらい行き来していて初孫をとても可愛がってくれていますが、やがてくる介護の問題もお互いにジワジワと感じ始めています。

 

仕事量への割り切りで子どもとの時間を確保

 

―シニアで子どもをもつメリットとしてはどうですか?

シニアになり、それなりの余裕と共に、経済的な割り切り、時間をコントロールすることの大切さが身に沁みていることでしょうか。「シニアだから心が成熟していて」、という聖人ではないので、目一杯忙しくしてると子どもに対して寛容ではいられません。なので仕事量を意図的にコントロールしました。独立していたのでできたことかもしれません。

若い時の育児だと自分の成長や生計に気持ちを取られやすかったでしょうし、そこは経済力が比較的安定しているシニアのメリットかもしれません。時間とそこからくる気持ちの余裕無しに子どもに向き合うのはかなりきついです。「俺、こんなに怒りっぽかったっけ?」と。凡人ですから、笑。

 

―ボクの場合は、次男が生まれたときに楽天の課長だった。自分だけ早く帰るよりも、メンバー全員がタイムマネジメントできるように働きかけました。

 

保育園ママ・パパたちとコミュニティーグループを作る

 

―保育パパとの関わりはどうですか?

3年前に保育園の8家族で「リトミックの会」を作り月二回集まっています。「お父さんと留岡さんは同い年です!」と明るく言ってくるママもいます、笑。

ななめのオジサン・オバサンと子ども達が関われるプラットホームになればなあ、と思ったのが立ち上げた動機です。僕が小さい頃は、お節介な近所のオッサンらが沢山いて、叱られたり褒められたりしてました。他人交えてみんなで育てる、そういう環境づくりが大事だと思うんですよ。シニアとして長く生きてきた経験はコミュニティ作りのフェーズでこそ役立つのだと思います。

スタート時は日程調整・場所取り・先生マネジメントとか率先してやり、軌道に乗ってきたら少しずつ前面から退いて自走を下支えするやり方で来ています。コミュニテイを作って半年くらいから皆さん主体的に動いていただけるようになっていき、スピンアウト企画(とうもろこし収穫/潮干狩り/雪山などの体験もの。工作教室も)も盛り上がってます。来月は本栖湖へ総勢20名で一泊二日のキャンプに繰り出します!

 

兄妹の数や仕事状況によりコミュニティーに提供できる協力のレベルは各家族でまちまちですが、それで良いと思っています。「子どもたちの成長のために」という揺るぎなく共有できる目標がありますから何とでもなります。

 

 

―ソニーでのマネジメント力も力になっているのでは?

燃える目標設定ができて活気あるチームを作れた時にこそヒトが一番伸びる。そういう経験は何度もしましたし。それと、隣の部署のお節介なオジさんに育ててもらった良い記憶があり、それを再現しようとしてるのかもしれませんね。

 

―子育て真っ最中のパパたちは自分の子どもしか見てないけど、シニアパパだと将来への予測がしやすいかもね。先日も2歳児のパパたちに「20歳過ぎたら一緒にお酒が飲めるよ!」って伝えました。18年後だけど(笑)。

 確かに! 一方でお姉ちゃん・お兄ちゃんも育てている若いママ・パパから教えてもらうことも多いです。年功序列じゃないところが子育てワールドの面白みでもありますね。そこでシニア風を吹かせるとズッコケると思います。「シニアパパの取説」書ける気がします!

 

―シニアパパプロジェクトについてはどう思いますか?

素晴らしい活動と思います。ぜひ私も一員として盛り上げていきたいです!子どもにとっていいというのもあるけれど、固定観念まみれになっているパパにすごくいいです。

 

この子らは22世紀も生きますし、そこへ向けて社会に何ができるかを考えて行動するのは、自身スゴくワクワクすることです。子どもと共に行動することで健康にもなりますし、進化した生成AIなどもう数年後には子どもに活用方法を教えてもらってるんでしょうしね、笑。

 

「ねばならない」が出てきたら、日記に書いて解毒

 

―ママとの関係はどうですか?

話し合いや多少の対立などのプロセスもありましたが、「子育て」というところが真ん中にあるのは、関係性を再び整える上で大きいと思います。

 

―祖父母との関係は?

私の父は「こうあらねばならない」が強い人でしばしばぶつかっていました。そこから離れるためにソニーに入社し、海外で働いたりしていた感じです。そういう感じにも関わらず、時々自分の父親が降りてきて自分の行動に出て子どもが目を白黒させている瞬間はあるんですよ。血ですかね。自己嫌悪の嵐です(苦笑)。早朝のスキマ時間に日記を書く習慣がありますが、そこで自己反省を書いて解毒してます(苦笑)。朝も慌ただしい時は、iPhoneのSIRI(音声文字化機能)に向かって事実や反省をブツブツ喋って後から読んでます。僕なりの立て直し方です。

 

 

 

取材・文/高祖常子(FJ理事、子育てアドバイザー)