NPO法人「おやじりんく」金子訓隆代表理事×

FJ「メインマン・プロジェクト」リーダー・橋謙太× 

FJ代表理事・安藤哲也 鼎談

 

発達障害の子どもたちと家族を支えるパパの役割

FJではこのたび、発達障害支援「メインマン・プロジェクト」を立ち上げました。会員の中に、発達障害のお子さんと向き合うパパが複数います。一方、FJの周辺では、ハンディのある子の子育てに孤軍奮闘するママたちから、「パパにもっと理解してほしい」という声が多数聞かれるようになりました。そこで、本プロジェクトでは、交流会などを通じパパとして何ができるかを考え、情報発信していく予定です。

 

本格始動を前に、父親主体で活動する先発の発達障害支援NPO「おやじりんく」の金子訓隆代表と、当プロジェクト・リーダーで発達障害児の父・橋(FJ賛助会員)、代表・安藤で鼎談を行いました。障害のお子さんと向き合う二人の体験談をもとに、プロジェクトの意義、これからの方向性を探ります。

 

<金子訓隆さん プロフィール>

息子の真輝(まさき)くんは軽度知的を伴う自閉症。ブログ・SNSでの交流がきっかけとなり、発達障害児を抱える父親たち10 人で2012 年11 月に特定非営利活動法人「おやじりんく」を設立。

 

現在は父親視点から障害児・者の自立・就労に向けた支援活動を行っており、同団体でデイサービス「輝-HIKARI-」を埼玉県内で2か所を運営。精力的に支援活動を行っている。

 

「おやじりんく」ホームページ >> http://www.oyajilink.net

 

【発達障害を初めて知って……】

安藤:お子さんが発達障害とわかったきっかけは?

 

橋:現在、小学6年の長女と3年の長男がいて、長女が3歳の時、発達障害とわかりました。当時通っていた公立保育園で担任の保育士さんにその可能性を示唆されたんです。例えば、いろいろな玩具があって、その玩具の形を子どもに質問をするとします。その後、玩具の色を改めて質問すると、大体3歳児くらいであればいずれにも答えられるでしょう。でも娘の場合、先に形の質問をし、次に色の質問をしても両方とも形の答えしか返ってこない。物を多面的に見ることが苦手、別の概念が入りづらいというようなことがありました。

 

でも初めは「小学校入学までには治るだろう」思っていましたが、療育機関をあちこち訪ねるようになり、そんなことはないという現実に直面しました。

 

小学校に入学する際には、主治医から特別支援学級(*1)(以下、支援級)への進学を薦められましたが、療育機関の言語聴覚士からは「低学年のうちは通常学級(以下、普通級)でもやっていけるでしょう」とアドバイスをもらい普通級に進学しました。ただ、「学習内容や友達関係が複雑になってくる3~4年生で新たな壁にぶつかり、改めて考えることになるでしょう」とも伝えられました。その予想は的中し、4年の進級時に、普通級から支援級へ移りました。

 

金子:小学3年の息子が軽度の知的障害を伴う自閉症です。「発達障害」は大変広い概念で、自閉症は含まれるものの、知的障害を伴わない場合も多く、息子のことを説明する際は、「発達障害」とは言わずより正確に伝えるようにしています。知的障害の有無により、行政の担当部署や支援のあり方が大きく変わるからです。

 

ほかの子との違いを如実に感じたのは1歳6か月の時でした。公園で、子どもたちが大勢砂場で遊んでいても、ひとりじっと木陰を眺めほかの子にも砂遊びにもまったく興味を示さない。水道の蛇口が大好きで、ひねっては止める動作を繰り返す。「なんか変だな」とインターネットで検索して初めて「発達障害」という言葉に出会いました。

 

しかし、当時は何の知識もなく、発達が障害されるとは、身長が伸びづらいなど身体の発達の遅れのことかと思ったほどでした。様々な文献には、「脳の機能の影響で著しく発達がでこぼこ」というようなことが書いてあるのですが、いったい何を意味するのかピンときません。

 

調べていくうちに、発達障害の子どもを育てる母親たちのブログにたどり着きました。そこには、似たような子どもたちの行動特性が具体的に描かれていました。例えば、キラキラ光るものや回るものが好きで、それをいったん目にするとほかのものに関心や注意が向かなくなる。興味の幅が極端に狭く対象も偏っている。そうした特徴が健常児との違いだと知り、「なるほど、こういうことか」と腑に落ちた記憶があります。

 

その後、さいたま市の療育センターで2歳10か月の時に児童精神科医から「広汎性発達障害」と診断されました。今は、埼玉県立の特別支援学校(*2)に通っています。

 

特別支援学級(*1)…比較的軽い障害のある児童、生徒の教育のため、小中学校に障害の種別ごとに置かれる少人数の学級(上限8人)。「学校教育法第81条」に定められる。知的障害、肢体不自由、病弱・身体虚弱、弱視、難聴、言語障害、自閉症・情緒障害の学級があり、設置は自治体により異なる。

 

特別支援学校(*2)…視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者または病弱者(身体虚弱者を含む)に対して、幼稚園、小学校、中学校または高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上または生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする(学校教育法第72条)。

 

配置については、設置者である都道府県などが、地理的な状況や各障害種別ごとの教育的ニーズ、各地域の実情に応じて検討し判断する。

 

【パパも悩み戸惑う】

安藤:その後、金子さんは、同じ立場のパパたちと支援団体を立ち上げたのですね。

 

金子:はい。団体設立のきっかけは、息子の3歳の誕生日に書き始めたブログです。私が母親たちのリアルな体験記に救われたように、息子の成長記録を残していけば、ほかの父親たちの参考になるのではと考えました。開設した6年前は、父親が綴るブログはまだ目新しかったのでしょう。接し方に戸惑う父親たちから予想以上の反響がありました。

 

それが縁で2012年、障害児の父親10人とともに、発達障害の子どもの自立・就労支援を中心とした活動を始めました。

 

橋:私も「おやじりんく」の会員です。FJに入会した少し後に、今度は障害児を持つ父親ともつながりたくて、インターネットで検索して知り、即、入会しました。小学校でおやじの会の代表をしていたものの、同じ立場の父親と知り合う機会がなく、娘の進路で悩んだ経験から、かねがね情報共有したいと思っていました。

 

安藤: その時の経験を聞かせてもらっていいですか?

 

橋:娘の入学時は、公立小の普通級へ進ませたのですが、専門家の指摘通り、3年生で学習面や友人関係につまずき始めました。

 

本人がしんどそうなのを放っておけず、娘の通っていた小学校には支援級がなかったので、2学期に隣の小学校に併設される支援級に一緒に一日体験に行きました。3学期に入って夫婦で相談の上、転校を検討し、最後は本人に決めさせようと「支援級に行かないか」と私から声をかけました。即答で「行きたい」と言ってきました。そこでの体験が、自分のペースに合っていて楽しかったようです。

 

4年生になって支援級に移ると、3年生の頃よりも生き生き学校に通えるようになり日常をともに過ごせる友達もでき、転校してよかったな、と思っています。

 

ただ、娘に打診するまでに紆余曲折ありました。とりわけ、母親である妻にとっては、「普通」か「特別」かは過酷な決断だったようです。社会が決めた枠組みに子どもを当てはめる…。一度、「普通」から外れたらこの先どうなるのだろう…。9歳での親の判断がこの子の将来を決めてしまうのでは……。狭間で揺れていましたね。

 

ですが、結果的には、当時の選択は間違っていなかったと夫婦で納得しています。子どもが岐路に立たされた時など、父親も充分調べ、最後に夫婦で話し合って方向性を決めなければいけないと思います。

 

【夫婦の連帯感を高める産前産後の関わり】

安藤:FJでは一貫してママとの親密な関わり、ママのサポートが「家族の笑顔を増やすカギ」と強調してきました。出産前後から今まで、ママとはどのように接してきましたか?

 

金子:妻は早くに母親を亡くし、里帰りする場所がなかったため、出産直後から必然的に私も育児に関わることになりました。初めての子育てで育児書に頼りながら一喜一憂、夜中も交代でオムツを替えたりミルクをあげたり。定期健診や療育の子育てサークルにも夫婦そろって行きました。

 

橋:我が家はフルタイムの共働きで、妻の妊娠がわかった時から一緒に定期健診に行ったり、パパママクラスに参加したり、出産にも立ち会いました。これらに参加した、できたのは私の意思が半分、妻の意思が半分といったところでしょうか。

 

家事は一通りこなせましたが、父親としての自覚を持つためにも、このプロセスは大切でしたね。妊婦健診や出産に立ち会ったことで、次第に父親のイメージがわき、「二人の子ども」なのだから「夫婦で一緒に育てるのは当たり前」という意識が芽生えたのだと思います。

 

その後も保育園や学童の保護者会、PTAの委員などは、ほとんど私が担当しています。娘の面談にも私が行くことが多いですね。

 

金子:1歳半で「周りの子と何か違う」と先に気づいたのは妻でした。その言葉を聞き逃さず、「気のせいじゃない?」と流さなかったのも、それまでずっと夫婦で向き合ってきたお蔭です。

 

「発達障害では?」との疑問を持って以来、お互いの不安や悩みはもちろん増しました。ですが、それらをすべて共有し、わからないことは調べ、今まで以上に一緒に見ていかなくてはと、逆に夫婦の絆が強くなりました。

 

診断名がついた時も、「やっぱりそうか」とわりとすんなり受け入れられました。というのも、それまで息子の様子をつぶさに把握していたからだと思います。

 

【障害児のママのストレスを軽減】

安藤: 「夫の無理解から離婚すら考える」というママがいると聞きます。お子さんに障害があればなおさら、夫婦の連携は重要なのでは!?

 

金子:ええ、「妻への理解」は何よりも大切です。父親の一番の役目は、子どもを受容する母親を守ることだと考えています。それは、FJのこれまでの父親支援の根幹でもありますね。母親のストレスを軽減することが子どもたちの安心と笑顔につながる。

 

程度にもよるでしょうけど、障害の子の母親は子どもの世話に追われ、社会との接点を持ちづらく、うつ病の発症率が高いともいわれます。

 

そこで当団体では、母親に休息を取ってもらおうと、未就学児対象の「児童発達支援」事業と、小学生から高校生までの「放課後等デイサービス」を行っています。平日午後、放課後、土曜に、障害のあるお子さんを預かり、母親が一人で過ごしたり、夫婦で出かけたりする時間に活用してもらっています。

 

橋:我が家は、金子さんご夫婦と違いよく喧嘩しています。それこそ妻は「夫の無理解から離婚すら考える」って、今でも時たま考えているかもしれません(笑)。

 

ですが、夫婦で子育てしていくうちに、障害児を抱える父親はなおさら、子どもと主体的に関わり、結果的に母親のストレスを軽くしていかなきゃいけないんじゃないかと思うようになりました。

 

最近FJで始動したより良い夫婦関係を考える「パートナシップ・プロジェクト」(リンク)でも、ママが子育てに負担を感じるかどうかはパパ次第、お互いが思いを伝えあえる環境作りが大切だといいます。

 

障害児の家庭で離婚は少なくないと聞くことがあります。父親に期待できなくなってしまうのかな。そうして、母親が孤立してしまうのかな。

 

我が家の場合、喧嘩は多いですが、見方を変えると10年以上、妻から私への期待値はとりあえず落ちてないんだ、まあ、それなりに育児を評価してくれているんだ、と冷静な時には前向きに考えるようにしています(笑)。

 

【地域のパパ友とつながると親子の居場所が増える】

安藤:周りのパパたちはどうですか?

 

金子:「おやじりんく」のメンバーは比較的重度の障害児の父親が多く、ある程度、解決済みというか、腰を据えて向き合っているほうだと思います。一方、当団体のHPを見た方から、「どこに相談していいかわからない」とメールをもらうこともしばしば。「妻が障害を受け入れられない」という父親からの相談も増えています。「発達障害」の啓発が進む反面、孤立する父親も増えているのではないかと感じます。

 

橋:支援級の授業参観や保護者会では、父親の姿はほとんど見かけません。普通級より比率が少ない気もしています。そのため、仲良くなるのはママばかりですね。「パパはどうしているのだろう?」と思いますが、あまり踏み込めないですからね。

 

子どもは学校で過ごす時間が長いわけですから、親が学校の様子を知ることは、普段、家では見せない子どもの素顔も見られ、様々な面でプラスになるのにもったいないと思います。先生と話す機会が増えますし、今後、進路や就労の課題に直面した時に、夫婦で話し合ってより良い選択肢を見つけていけるんじゃないかと思っています。

 

たまに学校のイベントなどで支援級の父親を見つけると、なるべく話しかけるようにはしています。障害のある子の父親同士がつながるといいなと。金子さんも言うように「親父が親父をひきつける」です。成長段階に応じた戸惑いや悩みを同じ立場で相談し合えると思うので。

 

安藤:橋君は小学校のおやじの会でも活動しているんだよね。そこではどうですか?

 

橋:普通級に通う長男の小学校では、おやじの会の代表をしています。娘が通う支援級併設の小学校にもおやじの会があり会員です。娘の方では支援級の父親がほかにもいますが、基本、健常児の父親主体の組織です。

 

ここで「メインマン・プロジェクト」のようなことをやりたいな、と思った経緯があります。おやじの会のイベントなどには、積極的に子どもたちを連れて行っていくと、必然的に娘の顔を覚え、気にかけてくれる父親が増えます。地域の知り合いができ居場所が増えることで、親子それぞれの生活がより豊かなものになっているんですよね。

 

仲間のパパ友は、娘が発達障害であることは知っています。かといって、特別扱いせず、分け隔てなく接してくれることがありがたい。発達障害の勉強会をおやじの会で主催した時にも、とても熱心に私の話を聞いてくれ、実際に支援級の子たちと接する時にはサポートしてくれています。私と娘にとっては、かけがいのない仲間であり親父たちです。

 

金子:健常児とその親が多いなか、我が子の障害について堂々と語れる橋さんは強い。でも、カミングアウトできる父親、いや母親も、まだまだ少ないのだと思います。

 

橋:娘は確かに支援級に通っていますが、私自身、彼女のことを「特別」だとは思っていません。いや、そりゃ大変なことも多いのは事実ですが、健常児の親が我が子を思うのと同じです。それは、障害の有無にかかわらず様々な親子と関わり、どの親子も一様ではないと実感できたからかもしれません。

 

もちろん、カミングアウトは容易でない、一様にできるものでもないと思います。親の気持ちの整理や周囲との関係性がありますし、いきなりは無理。段階は必要ですよね。

 

ただ、私の場合は、カミングアウトすることで、断然メリットの方が多かったと思います。初めは「いじめられるんじゃないか?」「白い目でみられるんじゃないか?」と心配になると思いますし、確かに一部の方はそのような反応をします。ですが、誤解が解消され、サポートにまわってくれる方が大半でした。

 

金子:息子は今年4月から小学校に併設される支援級に通う予定です。その学校で初めて、健常児の保護者とも接することになります。この先どうなるかは未知数ですが、橋さんはひとつのロールモデル。経験をシェアしてもらえると大変心強い。

 

活動を続けるうちに、当事者以外にも幅広く啓発することが必要だと感じてきました。次の環境がそのプラスになればとも思います。また今回、一般の父親を対象としたFJが、この分野に着目してくれたことに期待を寄せています。当事者だけでは、広がりに限界があるようです。

 

安藤:先にFJで取り組んだ父子家庭支援や、もうひとつの団体・NPOタイガーマスク基金による社会的養護支援も同じような状況にあります。ただし、社会的関心を集め、裾野を広げていくと、少しずつ環境は変わる。関心はあってもどうすればいいかわからないという層に働きかけ、行政と当事者をつなぐのもNPOの役目かな。

 

金子:当団体でも、福祉と産学の融合を目指しています。障害児・者の就労支援を事業の柱に据えていますが、当事者、支援者双方の働く側にとって潤いがなければ発展は望めません。企業との連携などは、ビジネスチャンスの多い父親の得意とするところです。

 

橋:確かに子どもの就労は一番の心配ですし、父親ならではの視点を活かしていけるとよさそうですね。一方で、発達の途上にいる子どもたちの側からすれば、彼らは今という時間を将来の仕事のためだけに生きているのではないとも思います。成長の過程をいかに楽しく過ごせたかが、その後の人生の糧となるはずです。

 

そのためにも、多くの当事者の父親や関心のある方と情報交換したり、当事者でない父親にもアプローチするイベントを開いたり。多面的に活動していきたいと考えています。

 

安藤:プロジェクトの名称である「メインマン(親友、大切な人)」は、映画「レインマン」の中で、ダスティン・ホフマン扮する自閉症の主人公が、弟役のトム・クルーズに告げた言葉からきています(奇しくもトム・クルーズは、後に学習障害をカミングアウトしました)。

 

パパたちが子どもたちの「メインマン」に、子どもたちもパパにとっての「メインマン」に。パパ同士がつながり、障害のある子どもとその家族を支えるムーブメントを広げていきましょう。

 

(文・赤池紀子)