澤登和夫さん(さわとん)
プロフィール
カウンセラー、講演講師、自分実験ラボ代表。
千葉県佐倉市在住。サラリーマン時代、過労と心労から5年半のうつ病に。マンションの最上階から飛び降りたことも。元気になった後、自身のうつ経験を活かしカウンセラーとして2008年に起業。12年経った現在は年間50回の自殺対策講演会や、人生経験を活かして起業したい人のサポートも。失敗しても大丈夫な社会を育むために「自分実験」という考えを提唱している。趣味は歩くことで千葉県一周したことも。著書に「人生をやめたいと思ったとき読む本(東洋経済新報社)」他3冊。2歳の男の子のパパ。
今はフリーでいらっしゃいますが、最初は会社勤めでしたか?
はい。卒業後、物流の会社に入りました。千葉県出身ですが、縁あって静岡の清水港で船のアテンドをしていました。英語で税関手続きのアシストなどをしていました。物流を選んだのは、縁の下の力持ちというイメージだったからです。大学で学んだ英語も生かしかかったので。
その後は?
3年間そこで働き、その後若手社員の中から選ばれて関連会社へ出向しました。栄転とちょうど結婚も重なり、これは順風満帆だなと思っていました。船会社の営業だったんですが、実はそれからの3年間がつらかったんです。みんなできる人ばっかりでした。朝8時ごろに会社に行って、終電で帰れればラッキーという感じ。でもそのあと、飲みに行ったり。出向の身分ですから、「迷惑をかけないように」「ついていかなくちゃ」ということばかり考えていました。
8時に出社して終電とは、大変でしたね。
誰よりも早く出社したことも多かったですが、そのうちしんどくなって。体力的にも精神的にも、キャパオーバーでしたね。出向して2カ月くらいで、仕事していると脂汗をかくようになり、頭が回らなくなりました。30秒くらいでできるコピーをするのに、3~4分かかったり。毎日が憂鬱だし、不安も大きくなっていました。メールが来れば、自分の悪口が書かれているんじゃないかと思ったり。
病院には行ったんですか?
最初、内科に行きましたが、体は健康ということで、紹介されて精神科に。典型的なうつ病と言われました。
上司には話しましたか?
「うつ病と診断されました。迷惑かけるかもしれません」と伝えましたが、上司は「ここで休むと周りの目もあるから」と。少し仕事量は減らしてくれましたが、「がんばろう」と言われました。
ずっと休まなかったんですか?
はい。働き方も変わらず、自分も変われませんでした。とにかく「置いていかれる」「迷惑をかける」「出世街道から外れる」ということばかり考えていたように思います。
体がしんどくて頭も回らないから、結局時間でカバーすることに。もがけばもがくほどしんどくて、体は鉛のように重くなりました。
結局休まず?
3年間、何とか働き続けました。そこそこの成績は残していたんです。
そうでしたか。でも元の会社に戻って、ちょっと落ち着かれたんですか?
出向先で学んだことを自分の会社で取り入れようと、逆にハイ(躁状態)になってましたね。空回りしてみんながついてきてくれず、孤立したんです。自分の居場所がなくなりました。3年間、アクセルを踏み続けてきたこともあって、エンジンストップ。結局うつがひどくなりました。
ご家庭はどうでしたか?
当時の妻ともなかなか本音で話せませんでした。うつの辛さもなかなか伝えられず、なるべく笑顔で振舞っていました。出向が終わるくらいのタイミングで、積もり積もったものが噴き出て大喧嘩に。「出てけ!」って一言からどんどんこじれてしまい、結局半年後に離婚しました。
今度は休職したんですね。
医者から「今度はゆっくり休んだ方がいい」といわれ、4カ月間休職しました。
医者からはまだ復職は早いんじゃ無いかとも言われましたが、自分から「元気になりました」って、元気を装ってましたね。会社を休んでいると「置いて行かれるんじゃないか」と心配で、平日家にいることの方が、しんどかった。
4ヶ月で復職したんですね。
会社に戻ると上司はすごく気を遣ってくれて、そのせいで仕事量が激減。会社に行く時間も遅くしてくれて、10時に出社しましたが、10時半には仕事が終わってしまいました。周りもどう接していいかわからないみたいで、自分には存在価値がない、いてもしょうがない、生きていても、、と思うことが増えました。3週間でまた休職することになりました。
人生をやめたいと思ったとき、どんなことを思っていたのですか。
1秒1秒がしんどくて、ボクシングのグローブでパンチされ続けているみたい。リセットしてもう一度やり直したい、今の状況から抜け出したいと思ったんです。休職して1カ月経ったころ、「もう無理だ、人生やめよう」って思って、近くのマンションの最上階から飛び降りました。2005年の夏でした。
そうだったんですね。突発的な感じ?
でも意外と衝動的ではなくて。マンションを下見したり、下に人がいて巻き込まないようになんて考えている自分がいました。マンションに向かうとき「ビールを買いに行く」って嘘ついて出かけたんですが、母親がおかしいと思ったみたいで、追いかけてきました。でも、自転車で振り切りました。
そして飛び降りた。
でも、死ねなかったんです。飛び降りてからしばらく気を失っていたのか、なぜここに寝ているのかよくわかりませんでした。後でわかったのですが、ひざを骨折していました。それでも血だらけのまま自分で歩いて自宅に戻ったんです。歩きながら「あっ、飛び降りたんだ」って思い出したんです。
それで入院したんですか?
家に帰ると父親がいて、母親も戻ってきて「どうしたんだ!」って。救急車で運ばれました。骨折などの応急処置の入院が終わった後は、また自殺しないようにと精神科の閉鎖病棟で過ごしました。最初はまさにどん底でしたが1カ月で「死にたい」という気持ちがなくなり、2か月後に退院しました。
死にたいという気持ちがなくなったのは、落ち着いたからですか?
入院患者に、同い年くらいの男の人と女の人がいたんですよ。夜はリビングでテレビを見ていたんですけど、みんなぼーっと見てる。病気のことも話さないし、特に会話しなくちゃという感じもない。それがなんかよかったですね。気持ちが楽になりました。
その後は?
会社には戻らずに、そのまま退職しました。しばらく休養してから、2つの会社にそれぞれ数ヶ月だけ在籍しました。その後、今度は体がおかしくなって、潰瘍性大腸炎という難病を患いました。結局、強い薬を飲んでも治らずに2007年に大腸を全摘出しました。
その後フリーになったんですか?
手術から半年後に心身ともにかなり元気になったので、今後のことを考えました。サラリーマンに戻るという選択肢もありましたが、心と体のことをいろいろ経験したので、その経験を活かして起業してカウンセラーになりたいと思うようになりました。2008年3月、34歳の誕生日にカウンセリングや自殺対策の講演などで起業しました。今は年間50回ほど自治体の自殺対策の講演会を行っています。
FJにはお子さんが生まれる前から、ジョインしていましたよね?
FJ理事の東さんのドリプラ(ドリームプラン・プレゼンテーション:自分の夢をプレゼンテーションする大会)に感動し、結婚もしてないし子どももいませんでしたが、2010年にパパスクール(東さんがドリプラでプレゼンし、実現した事業)に通いました。
独身でお子さんがいないのに、パパスクールに行っていたのはなぜですか?
いつかパパになった時の予習というのもありましたが、今の自分でもパパ業から学べることがたくさんあると思ったからです。例えば仕事とパパ業の両立は、複数の事業を自分で行う起業でも役に立つと思いました。コミュニケーションについても学ぶことができて、その甲斐あってか2011年に今の妻と再婚しました。
さわとんの転機は、飛び降りたことですか?
いろいろあったけど、やっぱりそうですね。人の目、上司からの評価、認められることばかりを気にしていました。でも、やっぱり人に合わせてると限界があってしんどくなる。それがうつ、飛び降りにまでつながっていきました。でもそこから元気になったあとで、自分の道を大事にしていこうと思えるようになりました。他者中心じゃなく、いい意味で自分中心に変わったということですね。
それが、さわとんの言う「すっぽんぽん」
はい。「ありのまま」「今の自分に素直に」ってことですね。「すっぽんぽん」っていう響きが好きだしわかりやすいのでよく使っています。自分自身へのメッセージでもあります。
お子さんも生まれましたね。
なかなか子どもができず不妊治療も経験し6年かかりましたが、2018年に息子が生まれました。44歳でようやくパパになりました。今は2歳になりましたが、かわいいですよね。
子どもからは「パパも好きなように生きればいいよ」と日々教えてもらっている気がします。子どもを見ていると、楽しんでいるかと思えばすぐに泣き出したり、買ってあげたおもちゃもすぐに投げ出したり。「今の自分に素直」というぼくが大事にしていること、まさにそのまま、師匠ですよね。
フリーでパパになったというのは、いかがでしたか?
子どもが生まれる前は、お金のことは正直不安でしたね。教育費に何千万かかるとかニュースで見て、収入的に不安になりました。でも子どもが産まれた頃にある人が「子どもはコウノトリのようにお金も運んでくれますよ」って言ってくれて。あれから2年経って、何となくその意味がわかる気がします。コロナとかあって、収入的にまずいかなと思うこともあるけど何だかんだ大丈夫なんですよね。「心配しなくて大丈夫」と根拠のない自信がわいてきます(笑)。
子どもは元気をくれますね。
やっぱり子どもが生まれてからは違うパワーが出てますね。自然と力が出る。この頃は自分の幸せの中核に家族の幸せがあることを実感しています。いくら夢を実現しようが友達と楽しく過ごそうが事業がうまくいこうが、家族が幸せでないと虚しい。子どもと妻と3人で生きているというのが、当たり前で幸せな感覚です。
今とこれからは?
活動としては、カウンセリング、講演会、執筆、起業したい人のコンサルなどを行っていますが、今後も継続していきます。
その中で大事にしていて広めたいキーワードは「自分実験」です。自分実験とは、自分を使ったなんでも実験。どうしても失敗したくない、叩かれたくない、という気持ちがやりたいこと足踏みさせてしまうってありますよね。それが実験だと思えばまぁ失敗してもいいやと。いかにハードルを下げるかが大事です。
ぼくは昨年、「歩いて千葉県一周」という自分実験を行いました。歩いた距離は500キロを超えましたが、1ヶ月で一周することができました。めっちゃ楽しかったし、自分への自信も増えました。これはちょっと大きな自分実験でしたが、ぼく自身も自分実験を積み重ねながら、その背中を見て感じてくれる人がいたら嬉しいと思っています。
どんな社会になるといいでしょう?
失敗しても大丈夫な社会にしていきたいですね。親も、子どもの失敗する機会を奪わないことが大事だと思っています。子どもは、失敗しながら成長していきますよね。自転車の練習をしていて、補助輪を外して、コケて、乗れるようになる。大人も子どもも安心して失敗できるように、みんなに「自分実験」を広めていきたいと思っています。
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取材・文:高祖常子(FJ理事、子育てアドバイザー&キャリアコンサルタント)