片元 彰さん
NPO法人ファザーリング・ジャパン中国 代表理事
時短家事コーディネーター
プロフィール
1982年、広島県広島市生まれ。大学卒業後は大手製薬会社に勤務。次男誕生の際に社内男性初の育児休業(4カ月)を取得。新潟へ転勤すると同時に「ファザーリングジャパンにいがた」を立ち上げる。その後様々な要因が重なりうつ病発症。新卒より10年務めた会社を退職し主夫に。2人の男子の育児や妻の仕事を支えつつ、フリーライター兼主夫ブロガーとして多様な働き方やライフスタイルについて発信。2018年より広島にUターン。2020年よりNPO法人 ファザーリング・ジャパン中国支部の代表となり、笑っている父親を増やすべく、各地でセミナーなどの啓蒙活動を行っている。
主夫のぽぽさん https://popo3.jp/
今までのストーリーをお話しいただけますか?
片元 最初は製薬会社で営業をしていました。入社2年後に結婚して、その1年後に長男が誕生。2年後に次男が生まれました。岡山で働いていましたが、新潟への転勤があり、その後体調を崩しました。2014年に退職し、専業主夫になりました。4年後の2018年に新潟から故郷の広島に戻ってきました。今は兼業主夫として、時短家事コーディネーターやWLBのセミナー講師などをしています。
FJを知ったのはいつですか?
片元 長男が生まれた時です。子どもがとてもかわいくて、自分でも子育てしたいと思いました。そんなときに本屋さんで見つけたのが『パパルール』(著:安藤哲也・小崎恭弘、編集:FJ、合同出版)。そのときにFJの存在を知りました。でも仕事も忙しく、毎日午前さまの生活が続いていました。
FJに入会したのは?
片元 次男が生まれたときに4カ月間の育休を取得したのですが、その時にFJに入会しました。
育休を取得するのは大変でしたか?
片元 当時勤めていた会社では、男性営業職として長期に育休を取ったのは初めてだったらしいです。でも、上司が理解してくれたので、取得自体は問題ありませんでした。大変だったのは社内より社外。製薬会社だったので「じゃあ、お前の会社の薬は使わなくてもいいんだな」なんていう人もいましたね。
その後、新潟に転勤されたのですね。
片元 岡山での仕事環境は恵まれていました。上司の理解はもちろんですが、「早く帰るキャラ」というイメージも定着していました。でも、新潟への転勤で、人間関係を一から作らなくてはならず。営業職なので直行直帰は基本的にOKなのに、「なぜ会社に戻ってこないんだ!」なんて言われることもありました。
新潟のパパたちと子連れでスキー場
その後ご病気になったんですか?
片元 朝、どんどん起きられなくなって、出社するのが遅くなりました。そんなときに妻が「明日も起きられないんだったら、会社行かないで」と言ってくれたんです。でも、次の日も会社に行こうとしました。自分が、働かなくちゃ、会社に行かなきゃという気持ちが大きかったんだと思います。
そうしたら、妻に社用の携帯と荷物を取り上げられました。で、会社に「しばらく休みます」と妻が電話したんです。
ママが電話したんですね。その時の気持ちは?
片元 「僕はもう終わった」と思いましたね。
病院にはかかっていたのですか?
片元 その後、病院に行きました。それからしばらくの間の記憶がないんですよ。。
ママは仕事をしていたんですか?ママとしても一大決心だったのでは?
片元 少しだけパートはしていましたけれど、ほぼ専業主婦でした。でも、僕がかなりまずい状況だと思ったんでしょうね。
その後、ママが働いたのですか?
片元 妻はもともと働こうとして、準備をしていました。僕は病欠ということで、しばらく会社に席がありました。僕の体調が安定して落ち着いたころに、ママは勉強していたことを生かして会社員になりました。広島に戻ってきてからは、妻はフリーで活動しています。
そうすると、片元さんの転機は?
片元 病気になったことですね。その時は本当に途方にくれました。でも、FJに入っていましたから、「FJにはいろいろな人がいる」「やめても何とかなる」と気づかされました。「秘密結社主夫の友」ができたり、専業主夫仲間の広島の北さんとも知り合い、いろいろなことがつながった感じですね。
実際、主夫になって、いかがでしたか?
片元 バリバリの会社員でしたから、主夫になると思っていなかったし。主夫仲間でもよく聞かれるように、孤立感はとても感じましたね。でも、FJにいがたメンバーとのつながりもあり、孤立感は徐々に薄れていきました。
パパ飲み会 着ぐるみで幼稚園の子どもたちとクリスマス会
今の生活は、どんな感じですか?
片元 今は、FJ中国の仕事をしながら、時短家事コーディネーターとして講師などしています。仕事のボリュームはもうちょっと増やしたいですね。妻は外に出ることが多く、11歳と9歳の男子もみんな好き勝手やってますが、ご飯は一緒に食べたいと思っています。
会社員時代も充実していましたけどね。でも、家族と向き合えていなくて、不完全燃焼でした。人生の満足度としては今の方が高い。今やっていることは間違いじゃないと思います。
これからやりたいことは?
片元 FJ中国を、もっと動かしていきたいですね。集まっているメンバーがいるから、もっと楽しく動かしたいと思っています。
家族で広島にUターン
取材・文:高祖常子(FJ理事、子育てアドバイザー&キャリアコンサルタント)