パパたちの「ライフシフト」インタビュー

「友人の自死で、子どもや家族への向き合い方が変わった」   堀恭平さん

 

堀恭平さん

 

神戸市職員

NPO法人ファザーリング・ジャパン関西(FJK)理事

ファザーリングKOBE共同代表

 

 

プロフィール

1980年兵庫県生まれ。兵庫県神戸市在住。妻、長女、次女の4人暮らし。

ワークライフバランス向上のために2度の転職を経て、現職に。条件付きで職員の兼業を認める神戸市の地域貢献応援制度を使い、日本初の「父親業」兼業公務員となり、ファザーリング・ジャパン関西(FJK)メンバーとして自治体や企業向けのワークライフバランスに関する講演や、親子イベントの開催・共催等を行う。また、神戸市職員として、育休を取得した同市職員らと共に「ファザーリングKOBE」を立ち上げ、神戸市から男性の育児環境改善に取り組んでいる。


阪神・淡路大震災を経験し、土木の道へ

 

 

略歴を教えてください。

神戸市で育ち、中学2年生の時に阪神・淡路大震災(1995年)を経験しました。復興時に土木技術の凄さや大切さを実感し、5年制の工業高専で土木を専攻しました。その後、大手の建設会社に就職しました。

九州と沖縄にそれぞれ1年半ずつ勤務しました。入社時は地元付近の勤務と聞いていたのですが、実際は転勤が激しく「次は北海道かも」と聞いて、このままでは親の死に目に会えないかも、と思いました。入社後に他社との合併があり、系列によって給与の格差もあったことから、入社4年目の春に兵庫県庁に転職しました。

 

兵庫県庁ではいかがでしたか?

入庁後最初の配属地は但馬でしたが、配属されたその年、2004年の台風で豊岡市の円山川が決壊したんです。市街地の大部分が浸水し、各地で土砂崩れも発生した大規模な災害で、その後数年間は、災害復興の仕事に没頭しました。緊急の仮設工事をしながら災害査定を受けて国に補助金の申請をするところから始まり、地域の方々と共に現場で働きました。とある地区の復旧が一段落したとき、地域の人たちが「これで安心して寝られる」と、感謝の会を開いてくれて、とても嬉しかったのを今でも覚えています。

 

友人の過労死で、社会は変わらなかったから…

 

 お子さんは二人ですよね?

2010年に結婚し、2年後に長女が生まれました。長女が生まれてからも、仕事優先の日々を送っていました。仕事に余裕ができたら家庭のことを、という感じでしたね。

そんなとき、結婚式のスピーチをしてくれた大切な友人が、過労による自死をしたんです。彼も土木の仕事と現場が大好きな人でしたが、「勤務地が変わってから仕事がしんどい」という言葉を聞き、「珍しいな。また飲みに行こう」と話した矢先でした。パワハラ上司に無理な仕事を押し付けられ、月150時間以上の残業があったようです。

 

FJ関西にジョインしたのはそのころですか?

はい。友人が自死したその年の年末にFJ関西に入会しました。

友人の葬式では号泣して、世界がひっくり返ったんじゃないかと思うくらい悲しかった。でも、次の日には僕も普通に出勤しましたし、社会は変わらなかった。その後、友人の親御さんが会社を相手に真相の解明と再発防止の対応を求めましたが、会社の態度はとても冷淡でした。「わが社は関係ない。彼はプライベートの問題で、勝手に死を選んだ」という感じでしたね。

自分は仕事第一で、家族はその次と思っていたけれど、友人はその「大切な仕事」に追い詰められて死んで、残された家族も悲しませた。自分の生き方は、このままで良いのか?と疑問を持ちました。そして、自分に何ができるのか、本当は何をしたいのかを考えました。そんなときに、FJ顧問の小崎恭弘先生のお話を聞き、「そうだ、自分は、子どもが笑顔になるための活動がしたい。父親がしっかりと父親の役割を果たし、楽しめる社会を作りたいんだ」と思い、FJ関西に入会しました。その後、次女が生まれ、変則的ではありましたが1年間の育休を取得しました。(週1、2日の休みを1年間取得)

 

神戸市に転職し、日本初の「父親業」兼業公務員に

 

 その後、神戸市に転職したんですか?

県庁勤務の男性の土木職員で育休を取得したのは自分が第1号で、職場では「仕事を犠牲にしてまで育休を取るのか」という声もありました。自分を育ててくれた職場を良い方向に変えたいという思いもあり、懸命に動いていたものの、職場の雰囲気はなかなか変わりませんでした。

当時、社会課題解決のための勉強会の運営に関わっていましたが、勉強会の参加者に神戸市の職員がいたんです。その方に、県庁での活動が難航していることを話すと「君みたいな尖った人間が活動するには、神戸市がいいんじゃない?」と言われたのが転職のきっかけでした。神戸市は市長が旗振りしてWLBを推進していて、兼業も認められているんです。悩みましたが、その後、神戸市に転職しました。転職したその年に、職員の兼業を認める神戸市の地域貢献応援制度を使い、FJ関西との兼業を認められ、日本初の「父親業」兼業公務員となりました。

 

兼業を認める制度、いいですね。兼業する人は増えていますか?

それがなかなか増えないですね。

 

なぜですか?

やりたいことが見つからないから、かもしれません。

ただ、兼業している他の職員は、車いすの方でも海水浴を楽しめるユニバーサルビーチプロジェクトという活動や、後継者不足でお店の数が減っている神戸名物「野球カステラ」を再び盛り上げようと活動をしている人もいます。

皆さん、本当にいきいきしていますね。自分の信じる道を進むことに躊躇がない、という感じがします。

 

役所で講演などすると、やりたいことが見つからない人が多いですね。その点、神戸市が選択肢を示していることは、とてもいいと思います。

 

本業とのバランスはどのように取っていますか?

効率化はもちろんですが、精度を求めすぎないということでしょうか。意識次第で仕事量は減ると思っています。あとは仕組みづくり。チームで仕事を共有して、「明日自分がいないと困る」という状況にしないことですね。

神戸市役所の中で「ファザーリングKOBE」というグループを立ち上げました。現在は約30人くらいのメンバーがいて、パパだけじゃなくママや係長クラスも入っています。LINEグループを作って、日々の悩み相談やランチ会、夜にオンライン交流会をしています。誰でも参加できる公開勉強会もオンラインで開催していて、神戸新聞にも取り上げていただきました。今後も、どんどん発信していこうと思っています。管理職の方にも参加して欲しいですね。

 

これからどんなことをしていきたいですか?

今は「父親業との兼業公務員」と名乗っていますが、ことさら「父親業」なんて言わなくてもいい、父親が父親をしっかりするのが当たり前の社会にしたいと思っています。パパが本気で子育てすれば、ママのワンオペの大変さが「自分ごと」になるから、それだけでも社会は良い方向に変わっていくと思います。家事育児の大変さを、何より楽しさを知っているパパたちを増やしていきたい。そうやって、笑っているパパママが増えて、笑っている子どもたちが育っていってくれたらと思っています。

 

 

 

 聞き手/安藤哲也(FJ代表)

取材・文/高祖常子(FJ理事、子育てアドバイザー)